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2)淀川の水運の歴史と現況

淀川は、かつて瀬戸内から大阪を経由して京都へ至る交通の大動脈として大いに利用され、江戸時代には1日1,000隻以上の船が行き交った。明治時代になっても1日約600隻の船が大阪〜伏見間を往復していたが、明治の終わり頃には鉄道や道路の整備が進み淀川を利用する水運は衰退し、現在では砂利船など特定の船舶が細々と利用するのみである。

表4−2 淀川水運の歴史

年代 水道
室町時代 ・伏見、淀が発展。淀二十石船、淀上荷船が活躍。
1611年 ・高瀬川(京から淀川に通じる輸送路)整備
享保年間(1716〜34年) ・三十石船671隻、淀二十石507隻、伏見船200隻
1870年頃 ・川蒸気船の就航
1876年 ・京都〜大阪間鉄道開通、これ以降淀川の水運は衰退

汽車:上等1円、下等40銭 

出典「近畿地方の水土グランドデザインとギャラクシープラン」近畿地方建設局

表4−3 明治21年の淀川利用船舶の概要と隻数

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